2019.02.07 03:32千利休屋敷跡(伝承地)茶道(抹茶法)の三千家家元の祖である千利休。堺の豪商・ととやに生まれ、教養の一つとして茶道を学び、後にわび茶(草庵の茶)を大成した人物になります。。屋敷跡には椿の井戸と利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材で建てられた井戸屋形があります。<千利休屋敷跡(伝承地)の基本情報>見学時間:10:00-17:00(隣接のさかい利晶の杜閉館)見学料 :無料所在地 :大阪府堺市堺区宿院町西1丁17-1紹介サイト :https://www.sakai-tcb.or.jp/spot/detail/92 <アクセス>(1)阪堺電車「宿院駅」より 徒歩3分(2)南海本線「堺駅」より 徒歩13分駐車場:なし
2019.02.04 22:54一休宗純一休宗純は臨済宗大徳寺派の僧侶。出生地は京都で、出自は後小松天皇の落胤とする説が有力視されている。『一休和尚年譜』によると母は藤原氏、南朝の高官の血筋であり、後小松天皇の寵愛を受けたが、帝の命を狙っていると讒言されて宮中を追われ、民間に入って一休を生んだといわれます。 『風狂の僧』としても有名で破天荒な行動もされていました。一休宗純と親交があった浄土宗僧・村田珠光が『わび茶』的な考えをしますが、一休宗純の影響がかなりあると思われます。また『唐の高僧の墨跡(えんごごくんの墨跡)』を茶室に飾り、それが村田珠光→千利休と伝わっています。<一休宗純の生涯:一休寺公式HPより抜粋> 1394:正月一日、京都:洛西の民家で生まれる。 1399:京都安国寺の像...
2019.02.04 22:54蓮如上人本願寺中興の祖と言われる蓮如上人。蓮如が生まれた時の本願寺は青蓮院の末寺に過ぎませんでした。蓮如6歳の時、父親の存如が本妻如円尼を迎え、生母と離別します。『御文章』と呼ばれる親鸞聖人の教えをわかりやすく伝えることにより本願寺は徐々に信者が増えていきます。その後に比叡山からの迫害があり琵琶湖周辺から北陸(吉崎)で布教を行いました。吉崎での布教により本願寺信者が爆発的に増え地元での軋轢が多くなったため、蓮如上人は畿内に戻り摂津出口を拠点に活動。山科御坊・石山御坊などを創建しました。<蓮如上人の生涯:複数Webサイトより抜粋>1415:京都東山の大谷(現・祟泰院)で生まれる。 1420:生母、大谷を去る 1431:青蓮院で得度 1440:巧如(本願寺6世)没...